亘理 HOME COMING DAY その2

HCDは大成功でした。

詳しい報告は「いちごっ子さん」が順次してくださるようなので、それをこちらでご紹介していくつもりです。

今日は私が今回亘理にいた短い時間の中で、心に刺さった言葉、シーンを書いてみます。

 

「仮設にいると、狭いし、外に出てもなんもないし、

あんまりイライラして眼鏡ケースを投げたらこわれちゃった」

 

「この1年で、5歳も6歳も年取ったよ。

鏡見ると、この人誰?って思う」

 

「こういうものが欲しくても、置く場所が無いし、、、」

 

「(笑って話していた方が、突然涙をこぼされ)

自分はどうなっても、子どもには少しでも幸せになってほしい」

 

「自宅の1階を全部津波でやられたけれど、

ボランティアの人が手伝ってくれたので、何とか片付けられました。

自分達だけだったら、全く無理だった。ありがたい」

 

「家は全部流された。

孫のことが心配で,様子を見に行ったから自分は助かったけれど、

隣の人たちは全員ダメだった。

まさかあんな大きな津波が来ると思わなかったからなあ」

 

「この1年無我夢中だった。

避難所から「みなし」(仮設住宅ではないところを借りている)

に移ったときは,少しほっとした気になったけれど,

家賃の援助も2年(あと1年足らず)で無くなるので,

その後、一体どうしたらいいのか全くわからない。」

 

今回はお話を聴きに行ったのではなく,イべントのお手伝いだったので、

ちょっとした会話の中で話してくださったことを拾ったものです。

驚いたことに,皆さん笑顔なのです。(特別イベントの日で特にそうだったのでしょうが)

その我慢強さにこちらが甘えてはいけないなあ,とつくづく思いました。

それだけの方が,つい漏らしたお辛いお気持ちというのは、その言葉の何十倍,何百倍の重さがあるはずです。

お手伝いはまだまだ必要です。それも長いスパンで。

「喉もと過ぎれば」って酷すぎる。

「収束宣言」って何のこと?

 

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