矢島美枝子のブログ
言葉が消えたとき
涙、ポロポロ
東日本大震災から数日経つ
朝の食卓に座ると いつもの風景が広がる
ビルの谷間の屋根の上には 昇ろうとする太陽が赤く輝いている
いつもの空 ラジオのニュースが聞こえる
炊き立てのご飯 暖かい味噌汁を口に入れると
涙がポロポロ
いつもの空に太陽は 白く高く溶けてゆく
昨日の空 明日の空 変わらない地球の空
ただ、地上だけがもぎとられた
悲惨だとか、大変だとか,頑張れとか そういう言葉は破壊され、消えた
ただ、涙ポロポロ
二輪草

四月の末頃でした
野生の二輪草を見に行きました
板橋区の高島平公園です
白い花が二輪、寄り添う様に群生してました
慎ましく和の美を感じました
震災の悲しみが少し薄れました
春です
北の丸公園に行きました.梅の花と寒桜の花が咲いていました。
人間関係、上手?下手?①私はこうもり
私は小学校に入学して初めて隣家に同学年の女子がいることを知りました。大きな蔵が三つぐらいあり、トラック(当時商店では珍しい)もありました。隣家の母親は自分が乳母を連れて嫁いできたそうです。女子とは偶然にも同じ組になり、遊ぶようになりました。彼女は、親同士の付き合いがあったようで、二軒先の同学年の女子を連れてきて、三人でよく遊んでいました。さらに、年度途中で近所に理髪業の家族が引っ越してきましたが、そこの三人姉妹の末っ子が同学年で、美人系の容姿をしていました。プライドの高そうな新人お嬢様、かたや乳母に育てられた由緒あるお嬢様でした。
新人お嬢様は見栄っ張り。対抗意識を出すため、二人はよくトラブっていました。由緒あるお嬢様は、相手の言動を我慢する気はありません。お供二人を連れて、さっさと帰ります。
学年が進み、それぞれ交友範囲も少し広がりましたが、やはり近所の手軽さで、私は新人お嬢に誘われればそちらへ、由緒あるお嬢に声掛けられればそちらへ、と、こだわりなくそれぞれと遊んでいました。
三、四年生ぐらいのとき、私は同級生に「矢島さんはこうもりみたいね」と言われました。私だけが両方と交遊しているからでしょう。悪意は無いようでしたが、小さな刃物を突きつけられたような気がしました。
対立する二人はともに遊ぶことは出来ないが、私は双方と遊ぶことが出来るからしているのであって、私には理解できない問題でした。自分が悪者のような気がして、学校の図書室に「こうもり」の童話があるのを思い出し読みました。こうもりは鳥のように空を飛ぶことが出来るが、生態は哺乳類で、両方から仲間外れにされたりいじめられたりしていましたが、両方を結びつけ、ともに仲良く暮らすようになるのです。
この物語を読んで、私は私自身に納得しました。「問題なし、私は私でいいんだ!」と。小学校低学年から中学生にかけての人間関係の悟りでした。
蔵のある風景・・・つばさにのって ⑥
私の住んでいる近辺は卸業を営んでいる店が集まっていたので、倉庫としての蔵を持ち、店、住まいは普通の建物だった。隣の町は小売業が多く、蔵は店舗になっていた。ここが現在観光のメインになっている。
蔵は大事な商売の品物を監理している所なので、子どもの出入りはどこの家でも禁止であり、鍵がかけてあったりしていた。蔵の中は厚い土塀に遮断された別世界である。子ども達の想像力を刺激し、誘惑をする。大人の目をぬすんで忍び込む秘密の遊び場所だった。
私の家の蔵の一階は商売用に使い、狭い急な梯子のような階段を上った二階には、祖母の持ってきた雛人形や父の端午の節句の一式や長火鉢など、様々な小道具が蔵の闇の中でひっそりを眠っていた。
ひとかかえもあるような太い梁には、長い年月蔵を支えてきた雄雄しさも少しづつ衰えてきた悲しさが漂っていた。外からもうちからも少しずつ崩れてきたが、蔵の中は変わることなく、夏は涼しく、冬は暖かく、無言の闇が私の心身を包み込んでくれた。
母と喧嘩したとき、学校でいやなことがあったとき、一人になりたいとき、小学生の私は、禁断の蔵のなかにひっそりと身を置いた。包み込んでくるような闇は母の胎内にも似て、時を遡り、命の種になってゆくようだった。 おわり
蔵のある風景・・・つばさにのって⑤
札の辻近くの路地を入ると、置屋と待合が両側に並ぶ芸者横丁があった。
横丁は中学の登下校の近道だった。下校時には、三味線の調子を合わせる音が洩れてくる路地に打ち水をする音や、少し着崩した浴衣姿に桶を抱えた芸者さんの軽い下駄の音が響いていた。夕方に聞く「おはようございます」の言葉が、大人になりかけていた私の心に甘く新鮮に聞こえた。
中学の同級生やクラブの先輩に、母親が芸者さんだったり置屋の娘だったりする人がいた。私の知るかぎりでは、学校で苛めや差別はなかった。同級生とは良く話し、テニスをした。先輩は置屋の娘らしく明るく美人で、祭りの手古舞姿は、中学生とは思えない大人びた美しさであった。
川越で生まれ、お囃子と木遣りと三味の音を、小江戸の洒落として育った。子どもの頃から、意味は分からないけれど、粋に生きたいと思っていた。町内に鳶職の組があり、あにさんやあねさんをみてきたからだろうか。
今は、粋から遠い人生である。
蔵のある風景・・・つばさにのって④
ある日、私の家から一軒置いた店が、定休日でもないのに戸が閉まったままになっていた。数日後、夜逃げをしたという話を聞いた。その家は町内の川越祭の山車の一部を保管していたが、その一部も行方不明となってしまった。山車は町内の誇りであったが、その年の祭りは、山車の舞台となる側面にベニヤ板が使われていた。本来は彫刻で飾られたものであったのに。山車の一部で特殊な板であるため直に見つかるだろうと、子供心に安易に考えていたが、それから十数年を経てから見つかり、買い戻したそうだ。
川越祭は小江戸の心意気である。各町内それぞれの、男は揃いの袷(あわせ)の着物と股引きを身につけ、片袖を抜いて華やかな襦袢を見せたりする。女子は着物を着て、下は裁着け(たつけ)袴をはく。着物を何枚か重ねて、重ねた分だけ片袖を抜いて華やかさを出したりするが、それができるのは経済的に余裕のある女子だったのだろう。
祭りは以前は歴史にちなんで、10月13,14,15日であったが、今は観光用に10月の第三土、日曜になっている。
子どもの頃の祭日は小学校は午後から休校になった。昼間の山車の引き手は、子どもが中心である。中には13日午前中から休み、美容院へ髪を結いに行く子もいた。親の祭りへの心意気であろうか。可愛い手古舞姿が目に浮かぶ。夜は仕事を終えた大人たちが中心であるが、旦那衆は昼間からそわそわして、商売はかみさんに任せて祭りに行ってしまう。
氷川神社の祭礼のため、13日初日は一番に氷川神社に詣で祝う。それから市内中の各町内の祭礼所に挨拶しに行く。車も多くなかった時代は、畑の見える暗い夜道を引いてまで儀礼を尽くしたものだった。市内中引き回していたため、他の山車にめぐり合うことも少なく、華やかなかわせは15日夜、大通りの各交差点に近辺の山車が集まり、お囃子と提灯が入り乱れ、打ち上げ花火のような興奮と静寂が訪れる。
木遣り唄とともに山車は戻ってくる。木遣り唄とともに、山車は出て行く。鳶の人達の粋な木遣りを聴けるのは地元の醍醐味である。行くときと戻ってくるときの木遣りの調子は違うので、家の中に居ても、山車の様子がわかるのだ。 続く、、、
蔵のある風景・・・つばさにのって③
東上線とJR線が通る川越駅は、当初は旧市内中心から離れたところにありました。繁華街は蔵造りの商店街を中心に、地域百貨店もあり賑わっていましたが、スーパーが出現し、都心への通勤者も増加すると、百貨店も合併し、駅の近くへと移転しました。
町内の菓子屋横丁は、子どもの頃は飴屋横丁と呼んでいました。菓子を作るよりも飴を造っている家が多かったのです。私の同窓生の家も飴を造り小売りもしていたので、時々買いに行きました。大玉、きなこ、ニッキなど、懐かしいです。大玉は子どもの口の中でいっぱいになり、しばらく飴を動かすことができませんでした。
スーパーの出現や生活様式の変化、嗜好の変化より、街の菓子屋にはチョコレート、キャラメルなど洋風のお菓子が並び、遠足の楽しみが増えました。それとともに、飴の製造業は年々減っていき、店は閉められ、友人の家も売却をし、郊外へ移転しました。残ったのはほんの数軒で、外から見たら客の出入りも殆どなく、成り立っているのか不思議なくらいでした。
大通りに昔から店を構えていた商店も、ある日突然夜逃げをするということが、この当時何件も起きました。子どもであっても、切ない思いをしました。 続く、、、
蔵のある風景・・・つばさにのって②
札の辻は旧市内の要であった。昔々、白の高札が立っていたという。
札の辻を東に行くと数分で市役所があり、子どもの頃は消防署と警察署もあったが、周りの町や村を合併していくなかで、その両方ともが郊外へ移転した。映画のロケにも使われた市役所は立て替えられ、大きく明るくなった。近くには卒業した小学校と中学校がある。
さらに歩くと川越高校、そして置くには川越城本丸跡、野球場。そして観光に伴い、新たに博物館が加わった。
城址の後ろには入間川支流が流れている。入間川を下れば隅田川につながる。
札の辻の南の通りは蔵のある商店街で、現在観光客が絶えることなく賑わっているが、商店街としての悲哀をこれから語るであろう菓子屋横丁と共に充分味わってきた。 続く、、、
蔵のある風景・・・つばさにのって①
私は札の辻からバスに乗って、川越駅から東武東上線で池袋まで通勤していた。帰りは時々川越市駅で下車をしていた。川越市駅は東武東上線とJR川越線(延長すると八高線になる)が走っている。バスは無く、川越駅前のビルの賑わいからすると、ひっそりとした駅前である。
下車をして駅の西側を振り返ると、夕焼けがホームに沿って広がる。しばしたたずみ、夕焼けを吸い込むようにして一日の疲れを癒す。沈んでゆく夕焼けを背にして、北へ歩を進める。白壁の落ちた蔵、間口は広いが客の出入りがあるようには見えない古びた木造の家屋。
齢(とし)於いた歯抜けのようは町の通りには、長く住んでいた家や土地を手放し、蔵の町には似合わないマンションが並ぶようになっている。
この通りを二本東に行くとバス通りであり、観光で有名な蔵造りの店舗があり、「時の鐘」も間近に見える。私の自宅の町内には菓子屋横丁があり、数人の同窓生が住んでいた。
続く、、、
















