ある日、私の家から一軒置いた店が、定休日でもないのに戸が閉まったままになっていた。数日後、夜逃げをしたという話を聞いた。その家は町内の川越祭の山車の一部を保管していたが、その一部も行方不明となってしまった。山車は町内の誇りであったが、その年の祭りは、山車の舞台となる側面にベニヤ板が使われていた。本来は彫刻で飾られたものであったのに。山車の一部で特殊な板であるため直に見つかるだろうと、子供心に安易に考えていたが、それから十数年を経てから見つかり、買い戻したそうだ。
川越祭は小江戸の心意気である。各町内それぞれの、男は揃いの袷(あわせ)の着物と股引きを身につけ、片袖を抜いて華やかな襦袢を見せたりする。女子は着物を着て、下は裁着け(たつけ)袴をはく。着物を何枚か重ねて、重ねた分だけ片袖を抜いて華やかさを出したりするが、それができるのは経済的に余裕のある女子だったのだろう。
祭りは以前は歴史にちなんで、10月13,14,15日であったが、今は観光用に10月の第三土、日曜になっている。
子どもの頃の祭日は小学校は午後から休校になった。昼間の山車の引き手は、子どもが中心である。中には13日午前中から休み、美容院へ髪を結いに行く子もいた。親の祭りへの心意気であろうか。可愛い手古舞姿が目に浮かぶ。夜は仕事を終えた大人たちが中心であるが、旦那衆は昼間からそわそわして、商売はかみさんに任せて祭りに行ってしまう。
氷川神社の祭礼のため、13日初日は一番に氷川神社に詣で祝う。それから市内中の各町内の祭礼所に挨拶しに行く。車も多くなかった時代は、畑の見える暗い夜道を引いてまで儀礼を尽くしたものだった。市内中引き回していたため、他の山車にめぐり合うことも少なく、華やかなかわせは15日夜、大通りの各交差点に近辺の山車が集まり、お囃子と提灯が入り乱れ、打ち上げ花火のような興奮と静寂が訪れる。
木遣り唄とともに山車は戻ってくる。木遣り唄とともに、山車は出て行く。鳶の人達の粋な木遣りを聴けるのは地元の醍醐味である。行くときと戻ってくるときの木遣りの調子は違うので、家の中に居ても、山車の様子がわかるのだ。 続く、、、