札の辻近くの路地を入ると、置屋と待合が両側に並ぶ芸者横丁があった。
横丁は中学の登下校の近道だった。下校時には、三味線の調子を合わせる音が洩れてくる路地に打ち水をする音や、少し着崩した浴衣姿に桶を抱えた芸者さんの軽い下駄の音が響いていた。夕方に聞く「おはようございます」の言葉が、大人になりかけていた私の心に甘く新鮮に聞こえた。
中学の同級生やクラブの先輩に、母親が芸者さんだったり置屋の娘だったりする人がいた。私の知るかぎりでは、学校で苛めや差別はなかった。同級生とは良く話し、テニスをした。先輩は置屋の娘らしく明るく美人で、祭りの手古舞姿は、中学生とは思えない大人びた美しさであった。
川越で生まれ、お囃子と木遣りと三味の音を、小江戸の洒落として育った。子どもの頃から、意味は分からないけれど、粋に生きたいと思っていた。町内に鳶職の組があり、あにさんやあねさんをみてきたからだろうか。
今は、粋から遠い人生である。