「ドクダミ」のことを書いてからしばらく経ったある夜、両手の指の関節が痛く、グラブでもしたように腫れて、熱も持っていることに気がつきました。何もしなくてもジンジン痛いし。指も痛みと腫れのため曲がらない状態。
私の手に何が起きているの~~ 怖いよ~~ ドクダミ取りをやりすぎたのか?ありえる。夢中でやったもの。「イヤだと思ったことでも救いになる」て書いたばっかりなのに、困るじゃない。
そういえば今から20年以上前に、「あなたは膠原病だから、絶対に無理をしないでください」と言われたことを思い出し、次の日はいつもの整形外科に。レントゲンや血液検査をしました。(結果はまだ)
とにかく日常生活が普通におくれない。握れない、つかめない、絞れない、持てない、押せない、拭けない、弾けない、引けない、書けない、開けられない、閉められない、ボタンを掛けられない、はずせない、~ない、~ない・・・
不自由なこと、この上なし。「行動することで気分のコントロールを」とも書いたけれど、両手が痛いと、かなりの行動が制限されて出来ません。洗濯機の中から洗濯物を取り出せないし、かぼちゃのような固いものは切れない。庭いじりなんて夢のまた夢。下手の横好きのヴァイオリンもケースから出すのも難しい。
さすがに能天気の私も落ち込みました。それで「行動、行動、行動、何が出来るかな」と考えまくったら、ありました。好きな音楽を聴くこと。大好きな2cellos、セリーヌ・ディオン、Sting、Canadian Tenorなどの動画を見まくり、聴きまくりました。
これはかなり良かったようです。聴くのも見るのも行動ですもんね。大分気分が回復しました。
さて、この経験から私は何を学んだか。「身体のどの部分でも痛みがあると、ものすごーく行動が制限されること、痛みそのものが辛い上に、気分転換すること自体が難しくなること、大怪我で無い場合は周りから辛さを理解されにくいこと、だから余計に落ち込むこと、それでも何か出来る行動があるはずだから、それを見つけてやってみると結構楽しめること、それは回復にもきっと効果があるだろうということ」
「そうかー、私、今までこういう方達のこと、分かっているつもりで分かってなかったなあ。こんなに大変なことなんだ。」としみじみ感じました。
でも今なら、我ながらそういう方のお気持ちが前よりは理解できるようになった気がします。じゃあ、この経験も悪くはないですね。いや、悪くないどころか、なかなか良い経験かもしれない。
大分痛みも取れてきた私は、いつもの「すべては良い経験」という思いを噛み締めながら、ドクダミ取りが再開できる日を楽しみにしているところです。