先ず、私が亘理に伺ったのは、6月末で、もう1ヶ月半ほど前のことで、体調を崩したのはそのあとです。何故こんなことを書くかというと、数人の方から「体調が悪い中、亘理に行ったんですか?」とご質問を頂いたからです。
ここに私が書いた順序から、そのように伝わってご心配をお掛けしたかもしれないので、亘理に行ったときは元気だったことを、改めてお伝えいたします。
さて、今回は「カウンセリングとは」で書くはずでしたが、もう1回、亘理で伺ったお話をお伝えするのが先だと思います。
「復興」はどうなっているのか。
勿論、当初の混乱と比べれば、落ち着いてきた部分があるのは確かです。
いちごっこのお話聴き隊のメンバーさんたちの、心の状態、
活動の様子を見せていただき
なんと力強く、堂々と、お互い助け合いながら生きていらっしゃることか、と感嘆しました。
皆さん、失ったものに捉われて悲しみ続けるのではなく、
「今、これから」に精一杯の力を注いでおられます。
その中のお一人に、流されて何の痕跡も無くなった自宅あとを見せていただきました。
「ここが本当に住宅地だったの?」という驚き。「ここに家があってさ、でも全部なくなっちゃった」と淡々と語ってくださるその方の強さ。でも時間を掛けて、やっとそうできるようになられたんだと思いますよ。
「今から家を建てようと思っても,3年先じゃないとできないんだって、資材も人でも足りないから」って。そんなひどいことあるでしょうか。それまで、仮設やみなしでの、不自由な生活を続けろっていうのでしょうか。
ある方が「誰も大きな声では言わないし,回りへの影響が大きいから,報道もされないけれど、自殺している人が何人かいるらしい」と教えてくださいました。
当然だと思います。昔の生活に戻れる見通しも無く、
かといって新しい生活に進むにもずっと先。
被災者の方の頑張りと生命力で,何とか前向きに進んでいるとは言え、
復興とは程遠い現状です。
オリンピックに使える予算と資材と人手があるのなら、
是非復興に使っていただきたいものです。
そして、私は一体何が出来るのか,改めて考え込んでしまいました。